サリィ・シーン

♡♡♡絵を描いている、今

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2014.05.16(Fri) 【未分類

砂山さん

パパの古い友達に、砂山一之さんという人がいて、
正確にはパパの小学校、高校時代の同級生、
パパは小さい頃、本人曰くいわゆるお山の大将で、
スポーツが出来て身体が強く、どんな子どもにも等しく優しく接していたので、
クラスメイトから人気者で、
砂山さんにはそんな子ども時代のパパのイメージが強く、
大人になってからもパパのことを英雄のように慕っていたのだった。

定規をぴっちりとあてて書かれたような、正確で力強い筆圧のボールペン字。
葉書には、能網義文さま、とある。パパの名前。
表面に差出人、「砂山一之」とある。
ーお元気ですか。僕は昭和○○年△月×日生まれで、今年で何十何歳になります。
それでは、このへんで。さようなら。
住所、丁寧に何号階段の横、と部屋の位置も記してある。そしてもう一度、氏名。
その少し幼稚じみた文章と小学生の硬筆の練習を思わせる筆致、をみて、
「この砂山一之さんって誰なん?」とパパに聞くと、
「パパの小学生の時の同級生や。小学校の時のまま、頭が止まってもてるんや。」と答えた。

砂山は、おとなしく真面目な奴で、特にパパと遊んでいた仲という訳ではないが、お山の大将やったパパのことを親しく思ってくれてたんやな。勉強もよく出来たから、今の桐蔭高校に進学した。けど、母親と子ひとりやったから、高校卒業後は進学しやんとすぐに就職したんや。はずれに今もある、競艇場で働いた。それまでは成績も優秀で、親思いで、頭もしっかりしてたんやが、ああいう所っていうのはいろんな悪い人も出入りするから、何かの口封じに薬づけにされたんかもしらん、久しぶりの同窓会で会った時は、もう頭がくるくるぱあになってもてたんや。
同窓会の時うちに遊びに来てくれきてくれと誘うから、一回砂山の家に遊びに行ったことがあった。その時はまだ母親も生きててな、嬉しそうに見てくれ、っていうから何かと思ったら、パパらが子供の頃に流行った切手のコレクションをまだ続けていて、まるで小学生の時のまんまはしゃぎながらパパに自慢してたんや。その時これはこれはと思ったよ。一番楽しかった子供の時のまんま、頭が止まってるんやな。

ふうん、その会った時っていつなん?

パパが50くらいの時やったかな。

岡公園の交差点でパパが車で信号待ちしてる時、坂の上から笑いながら手を降って自転車で駆け下りていく男が居て、一人だけで笑ってる頭の変な奴も居るもんや、と思ってよくみたら砂山やった。何にもないのに大笑いしながら手をふってたんや。

私は、そんな風になってしまって、何だか可哀想な人やなあ、と思いながら聞いてた。
そうしたら、パパがこう付け加えた。

パパは、さよぼんがいつか砂山みたいになりはしないかとそれだけが心配で…


砂山さんはちょこちょこ、手紙をよこした。
葉書の時もあれば、封筒に入った手紙のことも多かった。
書いている手紙の内容はいつも殆ど一緒だった。
お元気ですか。僕は、昭和○○年△月×日生まれで、今年で何十何歳になります。
なんで、そんな昔の知り合いが、パパにずっと手紙書いてるんかな、と聞いたら、
他の人は相手にしてくれへんけど、パパの子供の頃の記憶で、自分に優しいと思ってるんやろな。と話していた。
もう母親も死んで、大阪の市営住宅に1人暮らしやから寂しなって書くんやろう。
パパに、返事は出せへんの、と聞いたら出せへん、とだけこたえた。
しかし、お正月の年賀状だけは別だった。砂山からまた来てる、一枚出しといてあげなさい。
それで私が描いた子供っぽいイラストの年賀状に、砂山さんの住所を書いて、送った。
砂山さんはパパから返事が来て嬉しかったのか、お正月からしばらくの間は一週間と日にちをあけず、同じ内容の手紙をよこした。出したことを忘れてるんや、とパパは言ってた。
私が和歌山に帰ってきてから、そんなのが毎年続いていた。

パパが病気になり、最後の年末、その時も砂山さんからの手紙は変わらず届いた。
文章には少しの変化があった。
僕は、昭和○○年△月×日生まれで、来年で何十何歳になります。
僕は、一週間に三回、何処何処へ働きに行っています。
一文字ひともじ力をこめて書かれていた。小学生の硬筆の様に整った、真面目なボールペン字。あまりに筆圧をかけ過ぎて、紙の裏側はぼこぼこである。一言一句間違いのないよう、時間をかけて、書いたんだろう。パパのことを思い浮かべながら書いていたのかも、しれない。
手紙の端のほうには、最近になって、「僕の顔」と題し、首から上の似顔絵が描かれている。

パパと過ごす最後のお正月にも、砂山さんから年賀状が届いた。
パパに、砂山さんからまたきてるよ。というと、出しといちゃって。と一言だけつぶやいた。
年賀状の返事が届いた砂山さんからは、またひんぱんに手紙が届くようになった。

パパが亡くなって、何日か後、もういない事実などもちろん知らない砂山さんからまた同じ内容の手紙が来た。
僕は昭和○○年生まれで、一週間に三回働きに出ていて、あと似顔絵と。最後にそれではこのへんで。と。
私は初めて私の名前で砂山さんに手紙を書いた。
父は亡くなりました。肺ガンでした。いつもお手紙をありがとう。それから、砂山さんのことは父から聞いて知っている事、どうぞ砂山さんもお身体にはお気をつけて、パパの元気だった頃の写真を添えて、ポストに入れた。
家族と、どうだろうね、砂山さんはパパの死んだこと分かるかな。すぐ忘れてまたパパ充てに手紙が来たりしてね。と笑って話していたが、数日後、彼から届いた手紙は、きちんと私充てだった。

ー能網佐世子様。
こんにちは。僕は、昭和○○年生まれ△月×日生まれで、今年で何十何歳になります。
それでは、このへんで。

それだけが書かれていた。
仕事のことも、自分の似顔絵もなかった。

砂山さんの手紙は、それきりだった。



この間海をみたくなって、南の海を、
それで白良浜まで車で行って来た。犬も連れて。
お土産に小瓶に入った星の砂を買った。実は、行く前からこれがすごく、欲しかったのだ。
親指ほどの小瓶は四つセットで、透明のバッグ型ビニールに入ってる。
420円。
ビニール部分や、瓶のところどころにシールが貼ってあって、
「きなん」とか「幸せの星砂」とか「天然貝」ってかいてる。あと、英語で「マリーン ボトル」ってかいてある。
小瓶の蓋は、カラフルなビー玉で、中身は、小さい巻き貝がひと瓶に付き4、5個、色のついた砂、ブルーと、ピンクと、黄色と橙。あとそこに星砂がちょこっとまじってる。
四つ並べて手のひらにのせると、ちょうど片手でコロコロと転がせて、すごくいい感じ。
可愛いし、きれいだし、砂はサラサラしておもしろい。宝物みたい。
私は、ふと、砂山さんのことを思い出して、このお土産をもらったら、きっと砂山さんもすごく喜ぶんじゃないかな。だって、綺麗だし、宝物みたいだもの、と思った。
私はその星砂をみていると嬉しいので、朝方になって眠くなるまでずっと見てた、
私は、そんな風にしてずっと過ごしていけたらいいのになあ、と思った。
パパ、さよこは別に賢くなくたっていい、砂山さんみたいだっていいんだよ。
なんでかそんなことばかり考えてしまう。

都会のほうとか、人の集まっているところに行くと、本当に嫌な気持ちになる。
みんな口では丁寧な、親切で偉いようなことを言ってるけど、
その後ろで悪口を言ってたり、嘘をついてたり、ほんまは自分が目立ったり、誉められたりしたいだけみたいで、そのせいで他の人を傷付けたりしていて、
私はすごく、嫌な気持ちになる。だから色んな人に会いたくない。
みんなは見てるようで見てない、
善か悪かなんてことではない、その先にただ、ある、
まこと、見ない。

いんちきだらけの世の中です。


色々と思い出してたら、私はかなしくなってきて、
毎日だいたい泣いてばかりして暮らしています。
でもある夜に、私はもうぐったりして、旦那さんにこう言った、
ー私は山下清みたいに、いろんなとこ旅して生きていけやんかな。
適当な格好してリュックしょって、好きな時に好きな場所に行って、
地元の人と会話して楽しくて、たまに描きたいと思ったら綺麗な景色の絵とか描いてねえ。
そんなんできたらいいなあ。でも現実には無理なんかなあ。アハハ。
私は、こんなんゆったらおそらく、何を冗談言ってるかねと呆れ声が返ってくるものと思っていた。
ところが、旦那さんは私のほうを真っ直ぐ向いて座り、落ちついた口調で、優しく、
ーいいよ。したいんやったらしなあよ。
と、言ってくれた。
ー僕が家に居て、おにぎり作って待ってちゃるからよ。

その日の晩は、なんだか久々にすごく楽な、幸せな気分で眠れて、
私はリュック背負って景色の綺麗なところへ、旅してるつもりになったのであった。
頭の中では、テーマソングの野に咲く花のようにが流れてて、
空もきれいで、緑が青々としていて、海はどこまでも広がっているのだった。





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